箱根路を駆けた名選手たち~大迫傑~

OB紹介

こんにちは。月に1度のシリーズ「箱根路を駆けた名選手たち」です。今回紹介する選手は大迫 傑(早稲田大卒)です。

 

大迫は日本一有名な長距離選手かもしれません。

学生時代からストイックに世界を目指し続け、常に高いレベルでチャレンジをし続けています。ユニバーシアード優勝、5000m日本記録更新、日本選手権二冠、オリンピック2大会連続出場、マラソン日本記録更新…成し遂げてきた実績は現役選手の中でも突出しています。

 

トラックで世界を目指していた大迫にとって、箱根駅伝は必ずしも最大の目標ではありませんでした。それでも、駅伝シーズンではチームの優勝に闘志を燃やし、脅威的な走りでチームを牽引していました。

 

そんな大迫の刺激的な箱根駅伝を振り返ります。

 

〇高校時代

大迫は東京都町田市の出身ですが、高校は長野県の名門、佐久長聖高校に進学します。当時の佐久長聖は1学年上に村澤明伸、平賀翔太、千葉健太など強すぎるメンバーが揃っており、大迫の2年次には全国高校駅伝で優勝を果たします。大迫もアンカーとして区間賞でこのレースを締めくくっています。

 

3年次には更に成長して大エースに。全国高校駅伝では花の1区で区間賞を獲得するなど、世代トップの選手として活躍しました。

 

〇大学時代

■1年次

高校卒業後は名門、早稲田大に進学します。同期には同じく高校時代に世代トップクラスの活躍を見せていた志方がおり、駅伝三冠を目指す早稲田大にとってはとても心強い加入でした。

大迫は1年次から大活躍。

出雲では2区で首位を守って優勝に貢献すると、全日本でも2区で7人抜きの快走でさらに優勝に貢献。

11月に行われた上尾ハーフでは61分47秒のジュニア記録を更新して優勝し、三冠を賭けた箱根では1区に起用されました。

 

そして、この1区でものすごい走りを見せることになるのでした。

スタート直後から集団を抜け出すと、唯一ついてきた堂本(日大)も10km過ぎで振り落として一人旅に。2位とは約1分、優勝を争うライバルの東洋大には2分もの大差をつける区間賞を獲得します。

この走りで完全に流れを掴んだ早稲田大は東洋大との死闘を制し、見事に駅伝三冠を達成しました。

 

■2年次

2年生になっても大迫の勢いはとどまるところを知りません。5000mでは13分31秒と歴代トップクラスの好タイムをマークすると、学生のオリンピックとも言われるユニバーシアードでは10000m優勝の快挙を成し遂げます。

 

駅伝シーズンには出雲では1区で留学生2人に次ぐ3位で走ると、全日本ではオーバーペースの影響で終盤失速しながら2区2位の好走。箱根は2年連続の1区を任されます。

 

そして、今回も序盤から服部(日体大)を引き連れて集団から抜け出します。

しかし、今回は他校も大迫の快走を警戒していました。3位集団も牽制せずに前回以上のペースで追いかけ続けた結果、大迫は区間賞こそ獲得したものの後続からは30秒ほどしかリードを奪うことができず、2区で逆転を許した東洋大に敗れることになりました。

 

■3年次

この年は初めて10000m27分台をマーク。日本選手権でも準優勝を果たすなど、学生トップどころか日本トップレベルへと駆け上がっていきます。

 

しかし、出雲では1区10位と初めて駅伝で失敗レースを経験します。それでも全日本ではオムワンバに次ぐ2区2位で8人抜き、箱根でも3区で強風に阻まれながら9人抜きとやはり力をあるところを見せました。

しかし、チームはいずれも5位前後と優勝戦線に絡むことはできませんでした。

 

■4年次

最終学年を迎えて、大迫はチームの主将に就任します。4月にはカーディナル招待で10000m27分38秒と日本人学生記録を更新。この記録は実業団選手も含めて日本歴代4位の快記録でした。

日本選手権でも2年連続で準優勝を果たすと、世界選手権にも出場。学生ながら日本のトップ選手として世界の舞台で戦い始めます。

 

最後の駅伝シーズン、出雲では高校時代以来のアンカーを務めて3人抜き、全日本でも2区区間賞で6人抜きとエースとしてチームを熱く引っ張ります。

 

しかし、このタイミングで大迫は常軌を逸したチャレンジに出かけます。

11月下旬から1か月もアメリカの「ナイキ・オレゴン・プロジェクト」に留学することにしたのです。

本来なら箱根駅伝直前の集中練習を行う時期に、海外でトラック練習を積むということは通常なら考えられません。それでも、本気で世界を目指していた大迫にとって、世界最高峰のチームで練習する機会を逃すわけにはいかなかったのでしょう。

 

それでも、箱根駅伝がどうでもよくなったわけではありません。帰国してからわずか10日あまりで、20kmの距離を走れるように調整しました。

しかも、チームでは山上りのスペシャリストの山本修平を故障で欠く非常事態。大迫はチームのために、自分が山上りをやってもいい、とまで言っていたそうです。

 

主将としてチームを勝たせたい大迫の思いに後輩たちも応えてくれました。大迫自身は調整不足もあって、1区5位という結果でしたが、2区の高田がなんと区間賞を獲得。山本の代役で5区を務めた高橋も必死に粘りました。総合4位という結果は優勝を目指したチームにとっては物足りないかもしれませんが、それでもどこか爽やかな戦いぶりでした。

 

〇社会人時代

大迫の常軌を逸したチャレンジは大学卒業後の方がよく知られているところでしょう。

入社した日清食品ではニューイヤー駅伝1区区間賞を置き土産に1年で退部。

ナイキ・オレゴン・プロジェクトで活動していくことになりました。

当時は日本の実業団チームに所属しながら競技を続けるのが当たり前だった時代。海外のチームに所属するというのはかなり異例でした。

そして、このチームで日本人離れしたスピードを磨いていった結果、2015年には5000mで13分8秒と日本記録を更新することができました。

この年には世界選手権、翌年はリオオリンピックにも出場するなど、日本のエースとして奮闘します。

 

そして2017年からはマラソンに戦いの場を移します。2018年にはシカゴマラソンで日本記録を樹立すると、MGCでも3位に入り、東京マラソン2020で自身の持つ日本記録をさらに更新。東京オリンピックのマラソン代表を掴み取ります。

 

そして、2021年7月。

東京オリンピックのマラソンを最後に、現役を引退することを発表しました。

-このレースですべてを出し切るため-

退路を断った大迫のラストレースから目が離せません。

 

〇最後に                                                                                        

大迫傑という選手は今までの常識に囚われないチャレンジで世界への道を切り開いてきました。

今や日本の実業団に所属せずに世界を目指す選手も珍しくなくなりましたが、大迫はその先駆者だったように思います。

 

そして、早稲田大から世界へと駆け上がっていったことが、有望な高校生が早稲田大を進学先に選ぶ理由のひとつにもなっているのではないでしょうか。

 

早稲田大、そして日本の陸上界に多大な貢献をしてくれた大迫。その集大成となる東京オリンピックのマラソンでどんな走りを見せてくれるのか楽しみでなりません。

 

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