こんにちは。月に1度のシリーズ「箱根路を駆けた名選手たち」です。今回紹介する選手は市田 孝(大東文化大卒)です。
大東文化大は3年連続で箱根予選敗退を喫するなど、箱根駅伝が遠ざかりつつあります。駅伝部強化を進める新興校や伝統校も増えてきており、このままだと箱根駅伝復帰がどんどん難しくなっていってしまいます。
実は大東文化大には約10年前にも同じように箱根駅伝出場から遠ざかった時期がありました。
そこから再び連続出場どころか、シード権を獲得できるようにまでチームを引き上げた立役者がこの市田なのです。
もちろんそれは簡単な道のりではありませんでした。
でも、だからこそ彼の戦いを今振り返る価値があると思うのです。
今回はそんな、市田孝の困難に立ち向かっていった箱根駅伝を振り返ります。
〇高校時代
実は市田は中学時代から世代トップの活躍を見せていました。中学3年生の時には双子の弟の宏とジュニアオリンピック3000mでワンツーフィニッシュ。
鹿児島実業高校でも全国高校駅伝で花の1区を任されて区間2位の活躍。チームも日本人選手のみの構成ながら有村や吉村、高田といった後に箱根駅伝で活躍する選手たちも市田が作った流れに乗って優勝を果たすなど、華々しい学生時代を過ごしていました。
〇大学時代
■1年次
中学、高校と華々しい活躍を見せていた市田孝が弟の宏と共に進学先に選んだのは大東文化大。世代トップクラスの選手が決してシード常連校というわけではなく、前年には箱根出場を逃しているチームを進学先に選ぶというのは当時では珍しかった印象でした。
ちなみに進学を決めた理由は、奈良監督の情熱的な勧誘だったそうです。
低迷していたチームに加わったスーパールーキーということで、入学当初から大いに注目された市田兄弟。それでも、1年目は大学駅伝の壁に跳ね返されます。
箱根予選では孝は個人121位、宏も個人111位と結果を残すことができず、2年連続で箱根予選敗退となってしまいました。
このときの悔しさをバネに、市田と大東文化大は変わっていきます。
■2年次
2年次は全日本予選で兄弟揃って最終4組を任され、宏が3位、孝も10位と素晴らしい走りで予選突破まであと一歩のところまで追い上げます。
勢いそのままに箱根予選では孝がチームトップの個人23位で走破。見事に3年ぶりの本戦出場に導きます。
本戦では宏が1区、孝は3区を任されます。宏が区間5位、孝も区間11位と粘走しますが、4区以降で順位を落とし、シード獲得はなりませんでした。
このときはまだ、市田兄弟の強さに他の選手が続ききれていない印象でした。
■3年次
市田兄弟に導かれるように、チームメイトも躍動し始めたのがこの年です。
全日本予選では再び兄弟で最終組を任されると、今度は孝が4位、宏も14位にまとめて本戦出場を確定させます。
箱根予選では孝が個人8位、宏が個人9位とさらにワンランク上の活躍で2年連続の本戦出場を決めると、全日本大学駅伝では2人で1、2区を担って3位の好発進。
チームメイトたちも粘りに粘って、シード次点の7位に食い込むなど、大東文化大の勢いが注目されてきます。
箱根本戦でも、1区宏2区孝で8位の好スタート。3区以降はシードラインを行ったり来たりしながら、最後は10区大西が1人交わして10位フィニッシュ。
念願の箱根シード獲得を果たすことができました。
■4年次
前年に躍進を果たした大東文化大。4年目は集大成としてのシーズンとなりました。全日本予選では、4年連続で最終組を任された市田兄弟。(これはすごいことです)
3組目までの仲間たちがみんな崩れずに繋いでくれたことで、そこまでのプレッシャー無く臨むことができたのではないでしょうか。孝は組4位とこれまた素晴らしい走りで2年連続の全日本出場を決めてくれました。
そして迎えた全日本本戦。
孝が1区、宏が2区に配置されたのですが、このときの1区が孝にとってのベストバウトかもしれません。
当時学生長距離界で最強クラスの実力を誇っていた村山謙太(駒澤大)、村山紘太(城西大)の兄弟が揃って同じ1区に登場したのです。
彼ら中心で回ると予想されていたレースでしたが、そこに割って入ったのが市田孝でした。
最後はほぼ同タイミングの1位~3位で中継所に飛び込んできた村山兄弟と孝。
最強クラスの選手たちに、箱根駅伝不出場から這い上がってきた大東文化大が並んで先頭争いをする姿は大きな勇気を与えました。
最後の箱根駅伝。
孝は2区、宏は5区を走ることになりました。
ずっと1区を走っていた宏が5区に回ることに若干の不安はありましたが、後輩が逞しく成長していました。
1区大隅が9位と好スタートを切ると、2区孝も区間10位としっかり流れをキープ。いい滑り出しとなります。
そして5区宏が区間4位の快走で9位に浮上すると、復路はずっと10位を走り続けてシード獲得。
この駅伝戦国時代の中で、見事に2年連続シードを残して市田兄弟は箱根駅伝での戦いを終えました。
〇社会人時代
大東文化大卒業後は兄弟揃って旭化成に入社。同期には村山兄弟や大六野など、強力な選手が多く揃っており、旭化成は一気にスター軍団に。
孝はその中でも20km前後の距離には抜群の強さを誇っており、ニューイヤー駅伝でも何度もエース区間の4区を勝ち取り、旭化成の優勝に貢献しています。
トラックでも安定した強さを見せており、先日の日本選手権10000mでは相澤(旭化成)、伊藤(Honda)に次ぐ3位に入賞。世界選手権への出場の可能性を残しており、いよいよ世界に羽ばたこうとしています。
〇最後に
市田は高校時代までは学年屈指のエリートランナーでした。そんな市田が箱根駅伝出場すら逃していた大東文化大を進学先に選んだというのはなかなかできない選択です。
事実、1年目には箱根予選敗退を喫しています。
それでも、チームを逞しく牽引し、最後には2年連続シードに導いた経験があるからこそ、実業団では旭化成という強豪チームでもエースとして活躍し、日本選手権でも表彰台に上がれるほど強くなったのでしょう。
困難に立ち向かうからこそ強くなれる。
今の大東文化大も苦しい戦いが続いていますが、この戦いの先に必ず大きな飛躍があるはず。
それを示してくれたのが、市田孝という選手なのです。
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